上福寺本堂 平成の大普請
@平成28年2月18日 解体工事が終了しました
平成28年2月2日に上福寺の本堂並びに庫裏(居住スペース)の解体工事が始まり、13日まで約2週間かけて終了しました。
現在上福寺があった場所は、綺麗に更地になっています。
山門のあったこの撮影位置からは、お寺の建物で見えなかったお墓の一部が見えます。
また本堂解体前に旧本堂の天井裏から「棟札(むなふだ)」が発見されました。「棟札」とは工事の由緒・建築の年月・建築者や工匠等を記し棟木に打ちつける札です。今から174年前の天保13年(1842年)旧本堂が建設された当時を教えてくれる貴重な資料です。
ちなみに天保13年(1842年)というと、日本では水野忠邦による「天保の改革」が進められ、世界では清とイギリスの間に起きた「アヘン戦争」の講和条約である「南京条約」が結ばれたという出来事がありました。
棟札の寸法は縦幅約96センチメートル、横幅約18センチメートルです。
見づらい所もありますが、棟札中程には左右に分けて「(右)天保十三年」という年号と、「(左)四月二十六日」という日付が記されています。
また当時の住職の名前、建設に尽力された方々、そして大工の棟梁の名前も記されています。
この棟札を見て特に注目すべきは、下部にある「師檀同修行所也」という文言ではないでしょうか?
本堂は「師(僧侶)も檀(檀信徒)も同じく、お念仏を唱えて修行をするところである」という意味の文言です。
「僧侶・在家を問わず、共々に「南無阿弥陀佛のお念仏をお唱えする場所にしましょう」という、宗祖・法然上人様の御遺訓『一枚起請文』にも説かれている、「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念佛すべし」という念佛者としての姿がそのまま、本堂のあるべき姿として棟札に書き記されたことが分かります。
建造物として存在するのではなく、そこを守る僧侶と、そこに集う檀信徒が共々に南無阿弥陀佛のお念仏をお唱えしていく場所が、「阿弥陀様のいらっしゃる本堂」であるということを、まるで天保時代に旧本堂を建てた方々が、平成の世を生きる私たちに教えてくれているかのようです。
新本堂でも、旧本堂を建てた方々の願いを受け継いでいきたいものです。
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